経営と技術をつなぐ人がいないと、会議は決まらない
「うちのエンジニアが何を言っているのか、正直分からないんです」という相談を、今年に入って何度も受けました。逆に、エンジニア側から「社長が何を決めたいのか分からない」と愚痴られることも同じくらいあります。面白いのは、両者とも真面目に仕事をしていて、どちらも嘘をついていないことです。問題は人ではなく、間にある言葉の断絶のほうです。僕はCTO代行という仕事の中身を一言で言うとき「経営と技術をつなぐ」という表現を使っていますが、比喩ではなく、かなり具体的な仕事の記述です。今回は、その「つなぐ」の中身を分解して書いてみます。
経営と技術をつなぐ仕事は、通訳と論点整理の二つです
先に結論を書くと、経営と技術をつなぐという仕事の中身は2つです。ひとつは、経営の言葉と技術の言葉を双方向に翻訳することです。もうひとつは、経営者が技術の論点を「決められる形」に前処理することです。この2つが回っている会社では技術の意思決定が速く、回っていない会社では何ヶ月も同じ議題が会議に載り続けます。
翻訳というのは、たとえばエンジニアの「この設計だと将来スケールしません」を、「今の作りのままだと、顧客が3倍になった時点で改修に数百万かかる、今なら数十万で防げる」という経営の言葉に直すことです。逆方向もあって、経営者の「とにかく早くリリースしたい」を、「今回は品質基準をここまで下げてよい、その代わりリリース後の障害対応コストは経営が織り込み済み」という技術チームが動ける指示に直します。どちらの言葉も間違っていないのに、そのままでは相手に届きません。だから間に翻訳者が要るわけです。
意思決定の前処理のほうは、もう少し地味な仕事です。技術の論点はたいてい「選択肢が多すぎて、どれも一長一短に見える」状態で経営者の前に出てきます。翻訳者は「選択肢は実質2つで、判断基準はコストを取るか速度を取るか、僕のおすすめはこちら」まで整理して出します。経営者は技術の専門家になる必要はなくて、整理された論点に対して経営判断を下せればいいんです。その状態を作るのが前処理です。
経営と技術をつなぐ人の空席は、会議・見積もり・退職に表れる
この翻訳者がいない会社には、共通した症状が出ます。相談を受けていて一番多いのは「会議で技術の話になると、意思決定が止まる」というものです。エンジニアや開発会社が専門用語で説明し、経営者は分からないなりに頷き、結局「もう少し検討しましょう」で終わります。誰も悪くないのに、この会議が毎月繰り返されます。技術的な議題だけが常に持ち越しになっている会社は、ほぼ間違いなく翻訳者が不在です。
次に多いのが、見積もりの妥当性が分からないという症状です。開発会社から500万円の見積もりが出てきたとき、見積額が適正なのか、倍額を吹っかけられているのか、判断する材料が社内にありません。相見積もりを取っても、各社の前提がバラバラで比較になりません。結果として「一番安いところ」か「一番営業がうまいところ」に発注することになり、同じ選び方が失敗プロジェクトの入口になっていることが本当に多いんです。
一番痛いのが、エンジニアが辞めるという症状です。技術の言葉が経営に届かない会社では、エンジニアの提案は却下され続けるか、無視され続けます。本人は「この会社では技術が大事にされていない」と感じて辞めていきます。経営者側に悪気はなく、単に判断材料が翻訳されて届いていなかっただけ、というケースを何度も見てきました。苦労して採用したのに、辞める理由が「言葉が通じなかったから」というのは、あまりにもったいない話です。
経営と技術をつなぐ人は、会議の外で何をしているのか
では、翻訳者は日々何をしているのでしょうか。僕が実際にやっている仕事から書くと、まず定例会議での同時通訳があります。開発の進捗報告を経営のインパクトに直し、経営の方針転換を開発の優先順位に直します。会議の場でその場で翻訳が入るだけで、「持ち越し」だった議題がその場で決まるようになります。
見積もりや提案書のレビューも、頻度の高い仕事です。開発会社の見積もりを開いて、どの項目が妥当でどこが過剰か、何が漏れているかを経営者に説明します。相場観と技術の両方が分かっていないとできない仕事ですが、両方が分かる人がいれば、見積もりの前提のずれを早い段階で直せます。金額感はCTO代行の費用相場の記事でも書いたとおりで、翻訳者がいないと前提の食い違いが手戻りとして積み上がります。
もうひとつ、忘れられがちなのがエンジニア側への翻訳です。事業の状況、資金繰り、なぜ今この機能が最優先なのかといった経営の文脈がエンジニアに伝わると、同じ指示でも動き方が変わります。「理由の分からない仕様変更」が「事業判断としての優先順位変更」に変わるだけで、チームの納得感はまるで違います。つなぐというのは経営者のためだけの仕事ではなく、エンジニアが働きやすくなる仕事でもあるんです。
経営と技術をつなぐ役割は、育てる・採る・外から入れる
この役割を誰に任せるかというと、選択肢は実質3つで、社内のエンジニアを育てるか、CTOを採用するか、外部の人間に業務委託で入ってもらうかです。
社内で育てる選択肢は、時間はかかるが本命です。技術が分かる人に経営の文脈を渡し続ければ、翻訳者は社内に育ちます。ただし今まさに意思決定が止まっているなら、育成計画と当面の判断担当を分けて考える必要があります。
CTO採用は理想形ですが、採用にかかる期間は募集条件と採用経路で変わります。募集を始める前に、採用中の技術判断を誰が担うかも決めてください。
だから僕は、3つ目の業務委託を「つなぎ」として使うのが現実的だと思っています。正社員のCTO採用には時間がかかりますが、業務委託なら条件が合えば最短1週間で翻訳者を置けます。事業の速度を落とさずに済みますし、採用活動と並行して進めて、良い人が採れたら引き継げます。CTO業務委託で技術責任者を補う方法に役割と意思決定範囲をまとめているので、この選択肢を検討する人はリンク先も読んでもらえるとうれしいです。
大事なのは、フルタイムである必要はないということです。翻訳と前処理という仕事は、月1〜2回の定例とチャット相談でもかなり機能します。毎日コードを書く人ではなく、意思決定の場面にいる人が必要なので、稼働は薄くても要所を押さえれば効果が出ます。うちの顧問プランが月8万円〜という設計になっているのも、同じ考え方が背景にあります。
翻訳者を置く前に気になる三つの質問
社内のエンジニアリーダーに翻訳役を任せてはだめですか?
社内のエンジニアリーダーに任せられるなら一番です。ただ、開発の第一線にいる人に翻訳役を兼務させると、本人の開発時間が削られる上に、経営側の言葉(財務・事業計画)の理解が追いつかないことが多いです。翻訳は両方の言葉が分かって初めて成立するので、技術側の言葉しか持っていない人に兼務させると、結局「経営に説明できない」問題が残ります。外部の翻訳者を入れて、その人からリーダーに経営の文脈を渡していく形が、社内で育てる近道になることも多いです。
翻訳者を間に挟むと、かえって意思決定が遅くなりませんか?
逆です。翻訳者がいない会社の意思決定は「分からないから持ち越す」で止まっているので、論点が決められる形で出てくるだけで速くなります。ただし、翻訳者がすべての情報を独占して関所になるような運用は避けるべきで、あくまで経営者とエンジニアが直接話せる状態を作りながら、通じない部分を埋めるのが正しい使い方です。
AIに翻訳させることはできませんか?
専門用語の意味を調べる程度ならAIで十分できます。ただ、実際の翻訳で難しいのは言葉の変換ではなく、「この会社の状況なら、どちらの選択肢を推すべきか」という判断のほうです。会社の資金状況、チームの実力、事業の優先順位を踏まえた前処理は、責任を持つ人間がやる仕事だと思ったほうがいいです。AIは翻訳者の道具にはなるが、代わりにはならないというのが今のところの実感です。
次の会議で、持ち越した技術議題を一つ拾う
経営と技術をつなぐというのは、スローガンではなく具体的な仕事です。経営の言葉と技術の言葉を双方向に翻訳し、技術の論点を経営者が決められる形に前処理します。この機能が欠けている会社では、会議が持ち越しになり、見積もりの妥当性が分からず、エンジニアが静かに辞めていきます。
もし自社の症状に心当たりがあるなら、次の会議で持ち越しになった技術議題をひとつ拾ってください。その議題を「選択肢」「判断基準」「推奨案」の3つに分ける人の顔が浮かばないなら、翻訳者は空席です。
空席を埋める方法は社内育成でも採用でも業務委託でもいいのですが、育成と採用には年単位の時間がかかります。その間も意思決定は毎週発生するので、まずは外部の翻訳者を薄く入れて事業の速度を保つ、という順序が現実的だと僕は思っています。初回60分の無料相談に持ち越し議題を持ってきてもらえれば、自社のどこに断絶があるから率直に整理します。
次に読む